唐十郎さんデザインが遅くれたことをお許し下さい。 – 横尾忠則
問題設定──ポスターと出来事
唐十郎さんデザインが遅くれたことをお許し下さい。[原文ママ] ──横尾忠則(1967年)
まず問題なのは、見たところ、私的な書き込み[碑文 inscription]である。アーカイヴへの帰属に関わる最初の問いの題名[title]は、こうである──何のアーカイヴなのか。 ──ジャック・デリダ『アーカイヴの病──フロイトの印象』(1995年)
画面右下にデザイナーからクライアントへのお詫びの一文(私的な書き込み)が印字された、劇団状況劇場の第九回お詫び興行〈唐十郎の『ジョン・シルバー』──新宿恋しや夜泣き篇〉(旧草月会館ホール、1967年5月22–25日)のポスターは、「公演当日の午前中に出来上がり、これはまったくポスターの機能という点では逸脱したものだった1 横尾忠則「作家とぼくとデザインと」『東京新聞』(1978年11月10日)。本稿における引用は以下のテクストからの孫引きである:扇田昭彦「横尾忠則とポスターの熱い時代」、高橋尚裕、塚田美紀、岡本弘毅、出原均 編『冒険王・横尾忠則(展覧会カタログ)』(国書刊行会、2008年)所収、82–83頁。」四辺を黒い外枠と、原寸大の花札(それぞれが黒い外枠を持ち、桐の札にはそのまま「有權(福)商標」「任天堂」「別製張貫」といった文字列が見られる)の羅列で二重に縁取られた画面の中央には、背後から昇る白い月に照らされ、島田髷の重さに俯く、濃灰色の裸婦の影。横尾忠則がデザインを手掛けたこのB1(103×72.8cm)のポスターが、四日間の公演のどのタイミングで納品、掲示に至ったのかはともかく、当時ある小劇団のある公演のために用意されたポスターとしては例外的に大判だったというこの印刷物は、要するに、それが事前に告げようとしていた催事=出来事には間に合わなかった。 さて、このような類いの逸話には事欠かない横尾という存在について、いままで私たちはどう向き合ってきたのか。横尾について書かれた数多の記述群が織り成す言説空間を覗くと、そこはとにかく賛辞で溢れ返っている。それらの記述群の大半が、この天才に関するいくつかの逸話を束ねた上で、彼をどう褒めるか、どう讃えるかという手続きに終始しているということである。同時代の書き手の多くは横尾との私的なエピソードを綴り、褒め讃え、暫くすると、誰がどのように横尾を褒め讃えたのかということが、後続の書き手によって新たに逸話の束へと取り込まれる。そうやって横尾論の空間は、横尾のポスターの画面が持つ入れ籠状の様態との間にアナロジーを結んでいる。 いずれにしても横尾は、上述の事例(彼の謝罪が記された場所)を挙げ、「ポスターの機能」とその「逸脱」について語った。先ずはこの「記載の場所」への注視を促し、そのような観測地点に本稿の居を定めよう。アーカイヴと呼ばれるこの観測地点には、記載の場所とその「外」とを同時に見渡せる立地が望ましい(この観測地点からは、シルクスクリーンのポスターが持つあの繊細な肌理までは目視できないにせよ)。「だが、実のところ見るものにとって、これらがポスターか否かということは、あまり関係がないのではないか2 椹木野衣「賑やかで暗い場所」『横尾忠則ポスタア藝術』(実業之日本社、2000年)所収、4–7頁。」そうかもしれない。しかし、横尾の手掛けたポスター群の到達点が、ポスターの基本的機能やポスター本来の目的といった尺度から逸脱した場所、あるいはそういった尺度とは無関係な場所にあるという見解──誰もが容易に同意しかねないこのような見解に私たちの思考が委ねられた途端、横尾を天才たらしめているこのポスターという媒体自体についての問いの練り上げは、当然のことながら疎かになる。横尾の仕事に限らず、ポスターは例外なく、ポスターの基本的機能やポスター本来の目的といった虚ろな尺度との距離の取り方の匙加減として具体化されているのであって、それらがポスター状の印刷物である限りにおいて、それらの「ポスターの機能」からの逸脱は現実にはあり得ない。横尾のこれらの仕事が、過去の特定の出来事の到来を告げるポスターであったこと、そしていまもなお、ポスターであり続けること(然るべき告知内容を告知し続けていること)、このような事実を棚上げにすることの利点は、私たちの観測地点においては、そもそも定かではないのである。横尾のポスター群が持つ、まるで酉の市の露店に並ぶ縁起熊手のような賑々しさも、三島由紀夫が指摘した「明るい色彩に包まれたやりきれない暗さ3 三島由紀夫「無礼な芸術」、粟津潔 編『横尾忠則遺作集』(学芸書林、1968年)所収。」も、デザイナーの表現と芸術家の表現を不当に隔てているあの偽の閾も、亀倉雄策が横尾を「自身の鋳型の中の天才4 亀倉雄策「破天荒の天才。そこが面白い(自身の鋳型の中の天才 A Genius in His Own Mould)」『横尾忠則(ggg Books 28)』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー、1997年)所収、4–7頁。亀倉のこのフレーズは以下の論考を経由して参照された:マルタ・シルベストロバ「時代の波を揺う者」『横尾忠則ポスタア藝術』所収、10–19頁。」と呼んだ理由も……全てはポスターという印刷物に印刷された問題である。では、ポスターとは何か。
『横尾忠則グラフィック大全』(講談社、1989年)、『横尾忠則の全ポスター』(誠文堂新光社、1995年)、『横尾忠則全ポスター』(国書刊行会、2010年)……「全」という語を書名に用いて網羅性を標榜するこれら浩瀚なカタログの各頁に、横尾の仕事が枚挙される。横尾を扱う書物の表紙を横尾自身が手掛けることも多く、カタログもまた、しばしば入れ籠状に仕上げられている。これらのカタログは横尾の仕事を年代順に一覧化し、各頁の表面には横尾のポスター群が刷り直される。とはいえ、それらのポスター群は各々の固有の紙=皮膚に直に刷り直されるわけではない。それらはカタログの各頁の内容(図版)として縮小されており、各頁への割付け[地取り、配置、入棺の準備 layout]のプロセスを経た後、個々の実体としてのポスターを個別に支えている紙(個々のポスターが持つ固有の皮膚)よりも新しい、しかし他者のものである皮膚の表面に、他者の印刷の肌理に沿って埋め込まれている──オフセット、つまり版と紙とが直に触れ合わないことを特徴とする印刷技術の非臨床性を、それとなく模倣しつつ。また、カタログの各頁に垣間見られる余白、ポスター(の図版)によって占められていないこの場所は、ポスター(の図版)にとっての「外」である。そこには、各々が何のポスターなのかという説明が書き込まれており、この記載は慣例的に「シルクスクリーン、紙」あるいは「オフセット、紙」といった表記や寸法の表記を伴う。カタログの各頁に残されたこの余白は、各頁の内容=関心の対象(の集合)それ自体ではなく、その周辺であり、外部であり、そうであるにも拘わらず、各頁の内容と同じ皮膚を持つ。余白は当然、そのまま残される。小さく刷り直されたポスター(の図版)の周囲は裁ち落とされない。この余白が、本稿がその観測地点から目視している第二の「記載の場所」である。そして、各頁の内容と一緒に何度か印刷機を通ったこの余白の肌理こそが、アーカイヴの肌理である。 この余白、この外部は、写真の中のアンドレ・マルローが彼の獲物(の写真図版)を敷き詰めて悦に入っている、あの居間の床面によっても説明されうる。写真の被写体としての写真群を、写真の中で下から支える、あの非臨床性の床面である。ところで、〈唐十郎の『ジョン・シルバー』〉の版下が準備されるプロセスにおいて、横尾は「本物の花札を貼って原稿を作りそれをベニア板に乗せて印刷所に運んだという5 平野甲賀、及部克人「対談 アンダーグラウンド・グラフィックス」『現代演劇のアート・ワーク60’s~80’s──ポスター・舞台美術にみる小劇場運動の軌跡(展覧会カタログ)』(西部美術館、1988年)における及部の発言。」横尾による印刷物としての花札の扱いがただ原寸大というだけでなく、実物を直に版にしていたということを確認した上で、「ポスターとは何か」という問いの場所に戻ろう。
端的に言って、ポスターとは兆しであり、先触れであり、約束である。いま、それらがアーカイヴの肌理に沿って、かつて各々が告げようとした(そしていまもなお告げようとし続けている)催事=出来事の証人たちとして呼び戻されている。しかし実のところ、これらの印刷物は、 各々が待ち設ける出来事を事前に告知するために、それぞれの出来事に先だって印刷されていたことを忘れてはならない。出来事の先触れ=伝令としての彼らは、アーカイヴの中では最も証人らしい顔つきをしているが、「実現されたこと」には一切触れず、ひたすら「目論まれたこと」のみを証言する(中には「粉砕」され、実現されなかった催事のポスターも含まれているが、だからといって彼らが嘘の証言をしているのではないことは明白である)。証人たちは饒舌であり、彼らを徴として回顧されうる過去の出来事、彼らが一足早く待ち設けた出来事がその後どのように実現されたのかについては何も知らされないまま、いまもなお彼らの眼前の未来を追憶し続けている。先触れ=伝令としてのこれら証人たちは、それぞれの出来事の顛末を知ることのできた他の証人たち、つまり記録写真や音源、映像よりも、むしろ出来事全体との直接的な関係を持つ。それは過去の出来事のリアリティが、目論まれたことと実現されたことの間の振幅の中にあるのではなく、未来を追憶する者と過去を予測する者との二重の期待の中に、二重に志向されているからである。「横尾さんが出てきて、みんなが煽られたんだね。B全じゃないと勝負にならないとか。(中略)この頃というのはポスターの方から芝居に影響を与えるということが十分あり得たよね。たとえば『ジョン・シルバー』の後の芝居は前のポスターに刺激されて変わるということがあったと思う6 「対談 アンダーグラウンド・グラフィックス」における平野の発言。引用は前掲の扇田昭彦「横尾忠則とポスターの熱い時代」からの孫引きである。」
問題の再設定とヤレ(破紙)の比喩
到来とは出来事の約束である。 ──モーリス・メルロ=ポンティ「間接的言語と沈黙の声」(1952年)
アーカイヴ技術は印刷の形式や構造ばかりでなく、印象=印刷の印刷される内容を条件づける。それは、印刷されるものと印刷するものの間の分割以前の、印刷[impression]の圧力[pression]である。このアーカイヴ技術は、まさに過去において、未来の先取りとして創設し構成していたどんなものをも支配してきたのである。 ──デリダ『アーカイヴの病』
「精神分析は、痕[印刷されたもの]と印刷機械の比喩を、たまたま特権化しているのではない7 ジャック・デリダ『アーカイヴの病──フロイトの印象』(1995年)、福本修 訳(法政大学出版局、2010年)所収、182頁。」とデリダは言う。印刷物[印刷された問題 printed matter]のアーカイヴは私たちの関心の対象(の集合)に常に隣接しているが、対象そのものでも、対象の伸び代でもない。アーカイヴは常に、関心の対象にとっての「外」である。どこまでが芸術で、どこまでがデザインなのか──例えばこのような偽の分割線を尻目に「ポスターとは何か」という問いの練り上げを始めた私たちは、どこからがアーカイヴなのかを示す分割線をすでに何度か引き直している。つまりアーカイヴは、観測者が「外」を穿つ度に幾重にも層状に引かれうる分割線群の、その度毎の外側に居を定めるのである。横尾のカタログの各頁に残された余白の肌理が「アーカイヴ」の肌理と呼ばれる一方で、そのような肌理を目視している本稿の観測地点もまた「アーカイヴ」と呼ばれるのはそのためである。アーカイヴは、自らを指し示す概念の外側で、具体的な対象の集合[外延 extension]として事例を枚挙する以外の一切の規定を拒絶しておきながら、結局そのように枚挙された事例群を一望するための自らの場所を、常に「外」に要請するのである。本稿の観測地点をその眺望に含む、一歩退いた場所に観測地点を設ける(転地する)ならば、その場所はやはり、取りも直さず「アーカイヴ」と呼ばれる。アーカイヴ化のプロセスは常に内容(の集合)に対して特定の観測地点として準備されるが、そのような観測地点は次第に、ある種の容器として対象化されてしまう。そうやってアーカイヴは、/アーカイヴ/アーカイヴ/////……と多層化していくのである。
ある年譜によると、1955年に地元の兵庫県立西脇高等学校を卒業した横尾は武蔵野美術大学油絵学科への進学を志し、受験のため一度上京するが、「老いた両親を思い」進学を断念し帰郷する。数カ月後、〈織物祭〉(西脇市、1955年5月7–8日)のポスター入選、採用を機に、横尾は加古川市のとある印刷所に就職する(半年で解雇)。この印刷所で横尾は、印刷技術の中でもとりわけ、「ヤレ(破紙)」に興味を持ったという8 横尾の「ヤレ」への関心については以下の解説を参照した:展覧会カタログ『横尾忠則 森羅万象』(美術出版社、2002年)所収、61頁。。 印刷技術のサイクルから、試刷のプロセスなどでクライアントに納品すべき印刷物としては除外となった紙が撥ねられる。すでに印刷機を何度か通過したその紙は「ヤレ」と呼ばれ、リサイクルのために蓄積されていく。一方「ヤレ通し」と呼ばれるプロセスは、新たにセットされた版と共に印刷機そのものを調整するためのプロセスであり、このプロセスにおいて用いられるヤレの存在は、印刷されるものと印刷するものの間の分割の手続きとして差し込まれる「/」そのものである。印刷物になり損ねたヤレの再利用は、単に経済的な理由からだけではない。印刷するものを印刷に備えさせるためには、すでに印刷されるものの役割を何度か担い、印刷するものとの物理的な接触を果たしているヤレの肌理が必要となるのである。そして、そのような「ヤレ通し」の結果として、ヤレの表面にはその都度、印刷技術としての重ね刷りとは無関係に、半ば予期せぬ重ね刷りが生じる。 ヤレの表面で起きているのは意図されざる錯雑である。横尾の興味を惹いたこの(そして、これらの)ヤレの表面が持つ、複数の異なる全体に帰属していた(あるいは帰属し損ねた)複数の肌理の過剰な重なり合いを、横尾の特定の印刷物へと重ね合わせるつもりはない。ヤレは本稿における第三の「記載の場所」にはなりえないのである。ヤレの表面で起きている錯雑は、目論まれた版の重なり合いとは断じて異質のものである。ヤレの肌理の多重性は圧倒的であると同時に身も蓋もなく、「ヤレ通し」の繰り返しの先にあるのは脱分化に他ならない。むしろこのヤレの比喩は、私たちが横尾の仕事について特定の画面を選ばずに(外部を設定せずに)、つまりアーカイヴを欠いて褒め讃えるときの、あの言説空間の錯雑に向けられる。
最後にもう一度特定のポスターを、特定の出来事を扱っておこう。草月アートセンターと雑誌『デザイン批評』(風土社)の共催による連続シンポジウム〈EXPOSE 1968──なにかいってくれ、いまさがす〉の第一回「変わった? 何が(現代の変身)」(旧草月会館ホール、1968年4月10日)の一幕として、一柳慧、黒川紀章そして横尾の三名が構成を担当した〈サイコ・デリシャス〉の導入部は、「言葉を信じないから発言しない9 泉真也による解説、『デザイン批評』第6号(1968年7月)所収、19頁。」という彼らの態度表明によって、結局始められずに終わりを迎えたという。そのとき、旧草月会館ホールの舞台の背景(ホリゾント)には、上述の作曲家、建築家そしてグラフィック・デザイナーの肖像写真を用いた三種のポスターが隙間無く張り巡らされていた。
ただし、いまここに呼び戻されているこれらの証人たちは、彼らが関係を結んでいる出来事については何も証言しない。公的な告知内容であれ私的な書き込みであれ、彼ら固有の記載の場所には、何ら情報が記されていないのである10 縁取りの下方にはそれぞれ「TOSHI ICHIYANAGI」「NORIAKI KUROKAWA」「TADANORI YOKOO」という表記があるようだが、カタログの縮小図版では網点の肌理に分解されていて判読し難い。。何かのポスターであることも含めた一切について口をつぐんだまま、自らが待ち設けた出来事との間にパフォーマティヴな関係を結ぶこれらの証人たち──記録写真の中で、被写体として自らを反復し、記録写真の画面にすら横尾の画面が持つ入れ籠状の様態を模倣させている(記録写真に「アーカイヴ」を演じさせている)これらの証人たちこそが、アーカイヴの多層化を誘発して止まない横尾のポスターの範型なのである。やはり印刷物を伴うこのような事例について、デリダはこう答えるだろう。「なぜならアーカイヴは、もしもこの語または比喩[figure]が何らかの意味作用に安定化するならば、それは決して、自発的で生き生きとした内的経験としての記憶でも想起でもないだろうからである。まったくその逆で、アーカイヴは当該の記憶の、根源的で構造的な欠陥の代わりに生じる[欠陥の場で場を持つ]のである。」そして彼はこう続ける。「記載の場所のない、反復の技術のない、何らかの外在性のないアーカイヴは、存在しない。外部のないアーカイヴはない11 デリダ、17頁。。」
「今、なにか言う」──これらのポスター(の図版)の「外」に書き込まれているのは、これらのポスターの題名だろうか。仮にポスターが自らの待ち設ける出来事の名以外にそのような題名を持つとして、当時、その題名が記載される場所は果たしてどこにあったのだろうか。その題名は、アーカイヴの始まりを示す分割線が引かれた後に、余白の肌理に沿って宛がわれたものではなかったか。「なにかいってくれ、いまさがす。」粟津潔が『ゴドーを待ちながら』の一節から転用したあの呼び掛けに応答しているこの声は、一体誰の声なのか。
この論考は『ユリイカ』44巻・13号(2012年11月)の誌面で一度発表された拙稿「『記載の場所』を巡って──アーカイヴと横尾忠則(印刷された問題)」に加筆、修正を施したものである。An English version of this text is available here as “A Sedimentation of the Archival Mind, 2.”
- 1横尾忠則「作家とぼくとデザインと」『東京新聞』(1978年11月10日)。本稿における引用は以下のテクストからの孫引きである:扇田昭彦「横尾忠則とポスターの熱い時代」、高橋尚裕、塚田美紀、岡本弘毅、出原均 編『冒険王・横尾忠則(展覧会カタログ)』(国書刊行会、2008年)所収、82–83頁。
- 2椹木野衣「賑やかで暗い場所」『横尾忠則ポスタア藝術』(実業之日本社、2000年)所収、4–7頁。
- 3三島由紀夫「無礼な芸術」、粟津潔 編『横尾忠則遺作集』(学芸書林、1968年)所収。
- 4亀倉雄策「破天荒の天才。そこが面白い(自身の鋳型の中の天才 A Genius in His Own Mould)」『横尾忠則(ggg Books 28)』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー、1997年)所収、4–7頁。亀倉のこのフレーズは以下の論考を経由して参照された:マルタ・シルベストロバ「時代の波を揺う者」『横尾忠則ポスタア藝術』所収、10–19頁。
- 5平野甲賀、及部克人「対談 アンダーグラウンド・グラフィックス」『現代演劇のアート・ワーク60’s~80’s──ポスター・舞台美術にみる小劇場運動の軌跡(展覧会カタログ)』(西部美術館、1988年)における及部の発言。
- 6「対談 アンダーグラウンド・グラフィックス」における平野の発言。引用は前掲の扇田昭彦「横尾忠則とポスターの熱い時代」からの孫引きである。
- 7ジャック・デリダ『アーカイヴの病──フロイトの印象』(1995年)、福本修 訳(法政大学出版局、2010年)所収、182頁。
- 8横尾の「ヤレ」への関心については以下の解説を参照した:展覧会カタログ『横尾忠則 森羅万象』(美術出版社、2002年)所収、61頁。
- 9泉真也による解説、『デザイン批評』第6号(1968年7月)所収、19頁。
- 10縁取りの下方にはそれぞれ「TOSHI ICHIYANAGI」「NORIAKI KUROKAWA」「TADANORI YOKOO」という表記があるようだが、カタログの縮小図版では網点の肌理に分解されていて判読し難い。
- 11デリダ、17頁。